ポール・サイモンの音楽人生を振り返る必読の評伝、『Paul Simon : The Life』by Robert Hilburn(2018)
ポール・サイモンは、今年の2月に、演奏ツアーからの「引退」を発表した。5月から始まった全米や欧州をまわるツアーは、「Homeward Bound - The Farewell Tour」と名付けられ、文字どうりの引退ツアーとなっている。大掛かりなツアーは辞めても、「小規模なパフォーマンス」や、レコーディングの音楽活動は続けるようで、安心だが。音楽活動は60年にも及び、色あせない名曲の数々と、華々しい実績を積み重ねてきて、今年には77歳を迎える。本書は、その引退表明に合わせたように、タイミング良く出版された、そのポール・サイモンの評伝である。その名曲の数々に魅了されて来たファンにとって、読む価値のある良書だ。
著者は、ポップス音楽評論家のロバート・ヒルバーン。ロサンゼルス・タイムズ紙で30年以上に渡り、ポップスの評論を担当したキャリアの持ち主。他に、ジョニー・キャッシュについての評伝などの著作がある。本書は、ポール自身が承諾したという、「公式」と言ってもいい評伝だ。著者による、ポール自身への直接インタビューは、3年間を費やし、信頼関係の上に書かれた労作である。加えて、家族や友人、関係者への取材や、膨大なメディア記録の掘り起こしを通して、冷静に事実関係に基づいて描いた著者のストーリーテリングに、引き込まれて読了した。
本書は、ポールの音楽キャリアを、少年時代から時系列に振り返ることで展開するが、著者の意図は、ポールの人間性を描き出すことにある。アート・ガーファンクルとの友情と確執、私生活での度重なる別れや離婚、常に求めてきた家族愛。商業的な成功に隠れた失敗の数々を通して、浮き彫りにする。生活や創作活動苦心しても、ポールの人生は「ソング・ライティング」を中心に回っている。著者は、ポールの名曲の歌詞のいくつかを、効果的に文中に挿入する。その詩的で文学的な歌詞は、まるで私小説のようで、その時々のポールの心象風景であることを、再認識させてくれる。
ポールは、10代から音楽ビジネスに携わってきた。父親のルー・サイモンは、プロのベース奏者であった。「ヘイ、スクールガール」(58年)を発売する際の契約は、ポールとアートが未成年でもあったから、ルーが交渉に当たり、レコーディングでは自らベースを弾いている。10代から音楽ビジネスについて多くのことを学んだ事は、ポールの音楽キャリアの礎になっている。ポールは早くから自分の楽曲のロイヤリティや権利を獲得する契約を結んでいたという。50年代から60年代の音楽業界では稀なことで、その時代では「先駆的なソングライター」でもあった。このエピソードは、お金への執着心というより、自分の楽曲に対する愛情と、ビジネスセンスを表して、印象的だ。その後も、ポールは、音楽の追求と同様に、アルバムのセールスやコンサートの収益にも専心した。大手レーベルのコロンビアから、ワーナー・ブラザースに移籍後、不発の作品が続いた時には、音楽的な評価より「必ずセールスの挽回をしてみせる」と経営陣に約束したという。音楽的な関心はまだしも、セールスまでに責任を表明するようなアーティストは、当時は「稀有な」存在であった。ポールは、偉大な音楽家であると同時に、音楽ビジネスのプロフェッショナルなのだ。
ポールは、「時の流れに」(75年)や、「グレースランド」(86年)など、いずれもグラミー賞受賞に輝き、セールスにおいても大成功を収める。アフリカやブラジル音楽を取り入れた手法は、革新的な功績である。そんな輝かしい業績や名声に隠れて、いくつかの失敗的な局面や、批判に曝された出来事も本書は丁寧に描いている。ポールが主演して作った映画「ワントリック・ポニー」(80年)。サイモン&ガーファンクルの復活作となるはずが、最終的にポールの意思でソロ作品としてリリースした「ハーツ・アンド・ボーンズ」(83年)。いずれも、業界評価や商業的には、失敗となった作品だ。南アフリカのミュージシャンを登用して作った「グレースランド」も、当時、アパルトヘイト政策の南アフリカ政府の支援に繋がると誤解を招き、音楽以外の世論から非難されたりもした。ポール自身が私費まで投じたブロードウェイ・ミュージカルの「ケープマン」(97年)に至っては、大酷評を受けて、わずか3ヶ月で打切りとなった。業界の酷評に気を病み、築いた名声を心配して、新たな曲作りのスランプに落ちいるなどのエピソードは、ポールの人間性を浮き彫りにする、読みどころになっている。
アート・ガーファンクルとの「関係」も、それ無くしてポールの人生は語れない。2人の関係に「確執」があることは、以前から周知のことである。2人が16才でデビューした「トム&ジェリー」の時から、その「確執」は始まっていたと、著者は明かす。「トム&ジェリー」と並行して、ポールは「トゥルー・テイラー」という芸名で、ソロ・デビューするのだが、そのことを、アートは裏切りと受け取ったという。後年、アートが俳優として映画出演に傾倒することで、「サイモンとガーファンクル」の解散に繋がり、何度かの再結成でも、周囲は2人の関係に「危険な状況」を見ていたという。とは言え、70才に至るまで、何度となく、2人は再結成してステージに立っているのだが。そんな出来事の繰り返しは、確執といっても、「友人」であるからこその、少年同志のナイーブな「関係性」を感じてしまうのだが。
「彼がたとえ作曲に興味を無くすことになったとしても、作曲の方がいつも彼に興味を持っている。」ポールの友人トーマス・フリードマンの言葉を、著者は記している。ポール・サイモンの、ソング・ライターとしてのレゾンデートルを言い得て妙である。
さて、ポールは、新作のスタジオアルバム「In The Blue Light」を、9月にリリースする予定だ。過去の楽曲を、新しいアプローチで録り直した作品だという。本書の読了後だから、なおさらに余韻を味わってその新作を聴きたい。
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