ピーセス・オブ・ア・ドリームの復習
ピーセス・オブ・ア・ドリームは、故郷フィラデルフィアの学生、ジェームス・ロイド(キーボード)、カーティス・ハーモン(ドラムス)、セドリック・ナポレオン(ベース)の3人が組んだアマチュア・バンドだった。10代のバンド結成(75年)から活動は通算40年を超えて、アルバムは20作品を数える。メンバー編成や音楽性は変容を経てきたが、今でもオリジナル・メンバーのロイドとハーモンの2人で活動するスムーズジャズ界屈指のレジェンド・バンドである。
Pieces Of A Dream (1981) |
アマチュア時代にバンド名はいくつかの改名を経て、最終的にそのユニークな名前に決定。ロイドが語っているところによると、その名前はサックス奏者スタンリー・タレンタインの曲「Pieces of Dreams」のスピンオフ(ひねり)で、夢(ドリーム)を実現した3人(ピーセス)という意味を込めたそうだ。
ちなみに、タレンタインは同曲をタイトルにしたアルバム(74年)をリリースしているが、同曲はカバー演奏である。オリジナルは、ミッシェル・ルグランが作曲したアメリカ映画(邦名「美しき愛のかけら」70年)の主題歌。作詞はアランとマリリン・バーグマン夫妻、歌ったのはペギー・リーで、受賞は逃したがアカデミー賞主題曲賞にノミネートされた名曲。その曲は彼らのレパートリーだったのかもしれない。
ミドル・スクールの学生だった3人は地元フィラデルフィアのテレビ・ショウのバック・バンドに抜擢される。ゲスト出演したデイヴ・ヴァンレンタインや、ジェリー・バトラー、クラーク・テリー、グローバー・ワシントン・ジュニアといったスター・ミュージシャンの伴奏を務めた。その後3人は、ある日老舗ジャズ・クラブ「ビジュー」で前座演奏をする。その時、観客で来ていたグローバー・ワシントン・ジュニアが彼らの演奏に飛び入り、「Mr.Magic」(ワシントン・ジュニアの代表曲)を共演する。ロイドが15か16歳、他2人が17か18歳だったという。ワシントン・ジュニアの『Live At The Bijou』(77年)というアルバムは、その場所「ビジュー」でのライブ盤である。
その後、彼らを気に入ったワシントン・ジュニアが、自身のプロダクションに3人をスカウトしてプロ・デビューに至る。ワシントン・ジュニア自らプロデュースしてエレクトラ・レーベルからデビュー・アルバム(81年)をリリース。この時3人はまだハイスクールの学生だった。その後もワシントン・ジュニアがプロデュースして合計3枚のアルバムをリリースした。
まさにバンド名に込めたように、弱冠10代ではなばなしくプロ・デビューに至った幸運は3人にとってまさに夢がかなったのだった。